前回「AI 探偵」を使って「日米半導体戦争」の「犯人」を探し当てました。
今回は、子供のころから気になっていた「エジプトのピラミッドは人間が作ったのか?」を、Google 先生と「AI 探偵(ChatGPT)」(挿絵は Google Gemini)の力を借りて「5W1H」(いつ・どこで・誰が・何を・なぜ・どのように)の順に調べてみます。

今回も「安楽椅子探偵」的に現場に行かずに、数回に分けてエジプトのピラミッドを扱います。
第1回目は、ピラミッドの「いつ・どこで」です。
エジプトについて
海外の国はアメリカとイギリスぐらいしか場所が良くわからないので、エジプトについて調べておきます。
エジプトの概略
正式国名は「エジプト・アラブ共和国」です。
現在の人口は日本と同じぐらい(1億少し)です。(漢字表記は「埃及」)
現在のエジプト・アラブ共和国の概略です。
・言語は、アラビア語
・人種は、アラブ人
・宗教は、イスラム教とキリスト教
・軍事的には、アメリカ・NATOと友好的だが、ロシアや中国からも武器の供給を受けている。(両陣営と仲良しとはスゴイね。)(以上、Wikipedia 情報)
エジプトの歴史
エジプトの歴史をざっくりまとめると

こんな感じで、「紀元元年」を前後に紀元前は古代エジプト、紀元後はどこかの支配下といった歴史をたどっています。
ちなみに、同時代の日本はこんな感じです。
エジプトでピラミッドが作られた頃に、日本では縄文時代なので文明が遅れているように見えますが、エジプトに人類が進出してからピラミッドが出来るまでに約7万年がたっていますから、日本に人類が進出してから7万年後なら他の銀河系に行っていますね。(負け惜しみ・・・)

ちなみに、世界最初の歴史書と呼ばれる「歴史( historíai、ヒストリアイ)」を書いた、ヘロドトス(紀元前5世紀生まれ)は古代ギリシア人ですが、この「歴史」の中で「ギリシアの宗教・神々の多くはエジプトに由来する」と記しています。
また、古代ギリシアの文字・建築・彫刻技術など多くの文化的な知識はエジプトから来たものでした。(ヘロドトス本人もギリシアより古代エジプトに憧れを持っていたようです。)
そして、建国時のアメリカ合衆国や第2次大戦前までのドイツ、少しさかのぼると中世ヨーロッパやイスラム世界は、ローマ帝国・古代ギリシアの模倣・模範・影響を受けているので、極言すると「世界の文化の源は古代エジプト」と言えるかもしれません。(黄河文明は、話の流れから省略しています。)

エジプトの場所
エジプトは、アフリカの北東端で地中海に面しています。(地図は Google Map から引用)

エジプトの拡大図です。(赤枠は首都のカイロです。)
国の北側は地中海、東側の大きな水色はスエズ運河、国の中を上下に横断している細い線はナイル川です。

エジプトのピラミッドはナイル川沿いを中心に沢山(300以上)ありますが、一番大きな「3大ピラミッド」はカイロの近くにあります。
カイロは現在のエジプトの首都ですが、3大ピラミッドは近郊の「ギザ」にあります。
(ピラミッドのあるギザは住宅地が近くて、ケンタッキーなども直近にあります。)
その下に見える「サッカラ」のそばに当時の王都の「メンフィス」王都:人口2万人程度 があります。

ギザの3大ピラミッド
世界7不思議に出てくる「大ピラミッド」の配置です。
ギザには大きさ順に「クフのピラミッド」、「カフラーのピラミッド」と「メンカウラーのピラミッド」と呼ばれる3つのピラミッドが並び、周辺には小さなピラミッド群があります。
(スフィンクスって、結構近くにあったんですね。)

「クフのピラミッド」(高さ約139 m)と「カフラーのピラミッド」(高さ約136 m)の大きさを比較すると、実際には「クフ王」の方が大きいのですが、「カフラー王」の方が 10 m 程高台にあるので見た目には大きく見えます。
(「メンカウラー王」はさらに高台にありますが小さい(高さ約 65 m)です。
(下の写真の一番奥が「クフのピラミッド」)

ところで、ここでピラミッドが建つ土地について確認しておきます。
少し古いですが、「Electromagnetic Survey for the Giza Plateau Mapping Project in 2003: A Retrospective after Twenty Years」で、2003年に行われた地質調査がまとめられています。
牽引式のFDEM(周波数領域電磁探査装置)EM3 で最大深度10メートル(実効深度6メートル)までの土壌を記録しました。
実施場所がA地点からB地点、その結果が下の図です。

この図のように、ピラミッド西側の MUSA 台地の地質を除き、MOKATTAM 層はピラミッドを構成している石と同じ石灰岩の地層が斜めに走っていることが分かります。(周辺は建築資材が掘り放題ですね。)

ここで、上の地質調査に使われた地図を見ていて、気になったことがありました。
「あれ、ピラミッドのあるギザの大地って、平らじゃなかったの?」
写真で見ても Google Map で見ても、広い平地に立っているように見えます。
ところが先ほどの地図には、等高線らしきものがたくさん入っています。そんなに高低差があるのかな。
調べてみましょう。
HAL{フランスの研究成果を共有するための学際的なオープンアーカイブ}の「Geological and Geomorphological study of the original hill at the base of Fourth Dynasty Egyptian monuments.」という論文の中の調査資料で、ピラミッド周辺の等高線を含んだ地図を見つけました。
この地図を、上で使った Google Map の地図に重ねてみます。
この論文に出ている地図によると、この辺の一番高い部分は 105 m、一番低いところは 20 m 以下です。
クフのピラミッドの高度が約 60 m、カフラーが 65 m、メンカウラーが 70m 程度です。
一番低いところから高いところの差は 85 m 以上なので結構な高低差でした。

いつ(製作年代)
それでは「AI 探偵」の出番です。
ギザの3大ピラミッドの、信頼できる建築年代を ChatGPT に調べてもらいました。
ピラミッドから採取した、数十点のモルタル中の有機物の放射性炭素年代測定結果を色々な資料で校正し、ほぼ確実と言われている製作年です。(カッコ内最後の数字は中央値)
・クフのピラミッド:前26世紀半ば(概ね BC 2620–2484年、4577年前)
・カフラーのピラミッド:前26世紀半ば(概ね BC 2550 -2530年、4565年前 )
・メンカウラーのピラミッド:前25世紀前半〜中頃(概ね BC 2530〜2500年、4540年前)
では、ピラミッド建設と該当する王の名を調べるために、古代エジプトの王朝のうち第4王朝を抜き出しました。(未確認・論争の分かれる王を除く。)
| 在位 | 王名(英語表記) |
| 前2613 – 2589年頃 | スネフェル(Sneferu) |
| 前2589 – 2566年頃 | クフ(Khufu) |
| 前2566 – 2558年頃 | ジェドエフラー(Djedefre) |
| 前2558 – 2532年頃 | カフラー(Khafra) |
| 前2532 – 2504年頃 | メンカウラー(Menkaura) |
| 前2504 – 2500年頃 | シェプスセスカフ(Shepseskaf) |
この数字から、古代エジプト王朝のそれぞれの王の時代に作られたことが確定しました。
「クフのピラミッド」の建築推定年代がジェドエフラーの王朝とかぶりますが、彼は父クフのピラミッドを完成させた王として記録されていますし、在位期間が8年間なので彼は建築した王から除外できます。
(ピラミッドが、宇宙人による「放射性炭素年代測定値キャンセル・ビーム」でも浴びていない限り間違いなしです。)
年代測定と王の在位期間が照合できたので、今後は3大ピラミッドのそれぞれをクフ・カフラー・メンカウラーのピラミッドと呼びます。
どこで(建設場所)
3大ピラミッドは、ダム建設で移設したアブ・シンベル神殿と違い、現在も建設当時と同じ場所に立っています。
しかし、私は勘違いしていました。
ピラミッドと言うと、砂漠のど真ん中にあって、いつも空は晴れて地表は砂嵐のイメージ(下図)でしたが、古代エジプトの時代は全然違いました。

ナイル川の位置
現在のナイル川はピラミッドから約 10 km ほど離れた場所を流れていますが、ダムが出来る前はピラミッドのすぐ横に川が流れていました。
ナイル川は、1902年のアスワン・ロウ・ダム、1970年のアスワン・ハイ・ダムが作られてから水量が大きく変わりました。
この絵は、ダムが出来る前の1840年代にDavid Roberts 氏が描いた彩色リトグラフの「Pyramids of Geezeh, from the Nile」という作品で「旅行スケッチを基にロンドンで仕上げた名作」とされています。

この作品ではピラミッドの前に「水源」が描かれていますが、大雨のあとの大きな水たまりの可能性もあります。また、これだけでは作者の想像図かもしれないので、学術的な根拠を調べます。
ChatGPT に古代のナイル川の流れを調べた資料を探してもらいます。
「The Egyptian pyramid chain was built along the now abandoned Ahramat Nile Branch」(Eman Ghoneim 他、2024年)が見つかりました。
その論文の中で、衛星や地中レーダー (GPR) と電磁トモグラフィー (EMT) を使用した地球物理学的な調査結果が示されていて、現在、ピラミッドから 10 km ほど離れた場所を流れているナイル川には、当時は「アフラマート支流」(「ピラミッド支流」の意味)があったそうです。この支流は表層水深 2 ~ 8 m、水路長約 64 km、水路幅 200 ~ 700 m を有しており、これは現代の隣接するナイル川の流路幅とほぼ同等です。
下図は、右側の濃い青が現在のナイル川、左側の薄い青がアフラマート支流です。ピラミッドなどは丸印で示されていて、赤い丸が古王国、黄色が中王国、白丸が第1中間期、緑丸が第2中間期です。
一番上の「Giza-Pyramids」が3大ピラミッドの位置ですが、ピラミッドのすぐそばまで川の流れが来ています。

この論文では、3大ピラミッド付近の 3D 図も公開しています。
ピラミッドのすぐ近くまでナイル川の巨大な支流が来ていたことが分かります。(これだと大スフィンクスは、洪水の時は水の中ですね。)

先程の Roberts 氏が描いた絵画がこの支流かはわかりませんが、3大ピラミッド建設当時は、すぐ東側は川辺だったのです。
これなら、大きな石材などを舟を使って運ぶという説も納得できます。
また、ChatGPT に当時のナイル川の水位を調べてもらいました。
3大ピラミッドを建設した5000年から4500年ほど前(BC 2600年頃)は、ナイル川の水位が他の時期より高く、概算で 17 m 程だったという回答がありました。(下のグラフは ChatGPT が作成。青バツ印はピラミッドの建設年)
でも、本当にこのグラフが正しければ、ナイル川の水位が低い時には収穫が激減するので、5500年前は大飢饉だったはず・・・

材料の調達先
古代エジプトは、すでに砂漠化していたので大きな木は育ちません。
そのため、建築に必要な木材やロープの材料は輸入品でした。
主な輸入資材
| 輸入元 | 輸入資材 | |
| 木材 | レバノン、ヌビア(エジプト南部の国) | 杉類 |
| ロープ | シナイ半島・レバノン | 麻類 |
しかし、建築資材の大部分を占める石材は、国内の色々な場所で調達可能でした。
ピラミッド建設に使った石材には、大きく分けて5種類ありました。(石灰岩は採掘場所別に分けました。)
| 種類 | 用途 | 採石場所 | 採石量 | 運搬手段 |
| 石灰岩 | ピラミッドのコア材 | ピラミッド近傍 Great Pyramid quarry | 300万個? | そり |
| 石灰岩 | 周辺建材や副材 | カイロ東南 ヘルワン地域 | 未計測 | そり |
| 白色石灰岩 | 外装用 | トゥラ採石場 南東15km | 10万m3 | そり+船 |
| 赤花崗岩 | 王の間・重要部材 | アスワン周辺 ナイル上流約 800km | 用途分 | そり+船 |
| 玄武岩 | 葬祭殿の床、舗装用 | ファイユーム北部周辺 カイロ西方砂漠域 | 用途分 | そり+船 |
| アルバスター大理石 | 特定用途の板材 | 中部エジプト ナイル東西の石灰岩丘陵 | 用途分 | そり+船 |
ピラミッドの大部分を占める石灰岩は、省力化のためにすぐ近くで調達していたのですね。

ちなみに、ピラミッドの各段の石の高さはバラバラで、最下段から最上段まで順番に規則的に小さくなって行くこともなく、その理由も分かっていません。
しかし、1つの説として上の写真でも見られますが、この周辺の石灰岩は一定の厚さで石の層と砂?の層が繰り返しています。
採石する際には、この周辺で取れる柔らかい石灰岩は、石や丸太でたたくと簡単に溝が出来るので、左右に切り込みの筋を入れて、地層で分かれるようにテコで押すと簡単に分割できます。
採石場から出荷するときは、この石の層の厚さを加工せずに出荷したために、ピラミッドの各段の高さが不揃いになったと言う訳です。(この説の論文を探しています。)

ピラミッド近傍の採石場です。
諸説ありますが、中央の逆L字型の部分だけで250万個以上の石灰岩を確保できたという論文もあります。その他の近傍の採掘場を加えると、ピラミッド2つ分ぐらいの建設がまかなえそうです。

遠方の採石場の位置を地図に示しました。
王の間の赤花崗岩の産地は遠いけど、船に乗せれば楽勝かな。(Google Map を使った概略図です。)

「230万個もの石材を遠方から運んでくるのは当時の技術では不可能だった。」と結論付けている方が多くいますが、ほとんどの石材はピラミッドの隣で切り出したので余裕で調達出来ました。
ピラミッドの大地
上の項目で、ピラミッドの建築場所に等高線を足した際に、ピラミッドの周辺の地形が明らかに人の手が入ったように鋭角に切り取られているのに気づきました。(下図の1と2の位置が大きく削られています。)
他にも加工されたように見える地形の不自然な変化はありますが、この土地を削った時の土砂の量などは次回、検証します。

ピラミッド建築者の村
近年の発掘で、クフのピラミッドのすぐ近く、スフィンクスの南 400 m 地点に「労働者村(Heit el-Ghurab)」が発掘されています。
それまでは用途が不明な長さ 200 m、高さ 10 m(基礎も含めると 20 m!)の「巨大な石の壁」(Wall of the Crow)がありました。(変なところに壁だけ作られているので、建築途中に破棄されたものと考えられていた。)
この発掘調査で「労働者村」の入口だったと分かりました。

下図が発掘調査が行われた「労働者村」の図面です。「Soccer Field」とあるのは古代のサッカー場ではなく、未発掘の現在のサッカー場です。

その概要は、
・国家運営の工事都市
・広さは約 7 ヘクタール
・居住可能な労働者は最大で2万人程度
・施設は、現場管理者の邸宅兼事務所・行政区画・工芸工房・工場・食料品店・厨房・長屋型宿舎・大規模ベーカリー・醸造設備(ビール用)・サイロ(穀物倉庫)・各種倉庫・その他多数
・居住者は労働者、職人だけでなく、管理者、行政官など
・職人たちは神殿の彫像や調度品、葬祭殿を造るための道具や設備を製作
・支援スタッフは「労働者村」に食料や生活必需品を供給
・食事は居住者全員に十分な量が与えられ、パン・ビール・干し魚以外にも1日あたり牛11頭、羊/ヤギ37頭が消費された。
ピラミッド学の正否
今回、3大ピラミッドの建設場所を調べていて気になった「ピラミッド学」的な説を、2つ紹介します。
1 ピラミッドとオリオン座の相関説
2 大スフィンクスの建設がとても古い説
ピラミッドとオリオン座の相関説
3大ピラミッドの配置とオリオン座に相関関係があるとする説です。
- 1990年代に作家のロバート・ボーヴァル(Robert Bauval)氏が提唱
この作家は「オリオン・ミステリー -大ピラミッドと星信仰の謎」(監修:吉村作治)という本を執筆した「グラハム・ハンコック系」の作家です。 - ある日、作者はギザの三大ピラミッドの配置が、オリオン座の三つ星の配置に対応していると思い付きました。
- その後、細かく調べるとオリオン座の位置がピラミッドの位置とズレるため、オリオン座の位置がピラミッドと合うように歳差運動で星の配置が一致する時期を計算すると、ピラミッド建設の時代を「紀元前1万0500年ごろ」にすると都合が良いと分かる。(ここまで来ると、付き合っていられないですね。)
この説の評価
この説は、専門家でもない作家が作品を書くために思いついた説です。
そして、ピラミッドの建設年代は放射性炭素年代測定で約4000年前と確定しています。
さらに、ここで言う「オリオン座との一致」の程度は、ピラミッドの配置を補正して強引に重ねているので、拡大縮小や回転を許せば世界のどの建造物群(古代遺跡から現在の高層ビルの配置まで)とも似せられる程度の曖昧さです。
ここでややこしいのが、古代エジプトには現在の日本のように沢山の神がいて、サフ神(Sah)というオリオン座を擬人化した神がいたことです。確かにサフ神(オリオン座の神)に対する信仰もあったようです。
ただし、古代エジプトの神々の神話は現在ではほとんど失われており、サフ神は超有名なオシリス神(冥界の神)と同一視されている場合があります。
どちらにしろ、ホルス神(ハヤブサ)やセベク神(ワニ)など沢山ある中でも比較的マイナーな神の1柱を持ち出して「オリオン座との一致」を唱えるのは間違っているとされています。
学会では、この説は知られてはいますが、完全に否定された「トンデモ説」です。(ネットや本で見ても信じないようにしましょう。)
大スフィンクス超古代説
SF 作家のウエスト氏(John Anthony West)と疑似科学の著者で古生物学者のショック准教授(Robert M. Schoch)が1979年頃に提唱しました。
大スフィンクスの周辺にある囲いの形状は砂風に削られた跡ではなく、降雨や流れ落ちる流水で生じたものであり、現在の乾燥化前の雨季が強かった新石器時代以前に作られたとしました。
当初、ウエスト氏は大スフィンクスは紀元前1万5千年にアトランティス人が作った後にエジプトに移設して雨に打たれたと主張していた(Wikipedia)ようですが、後に現在の位置で1万年前に作られたと修正しています。(ウエスト氏・ショック氏はこの説を取り上げたテレビドキュメンタリー等に多数出演して有名になりました。)
しかし、大スフィンクスに対して行われた多年にわたる発掘・測量・マッピング作業によると、周辺構造と建築工法の順序から3大ピラミッドとスフィンクスの建築は同時期であるとされています。
また、この説の唯一の主張であるピラミッド周辺の囲いの浸食は、雨水だけでは説明できない色々な複合原因(風・砂・地下水・採石・人工的な掘削・石材の再利用など)である可能性が非常に高いです。
また、この説が出た後に行われたルミネッセンスや放射炭素の年代測定によって、大スフィンクスの建築年代は紀元前3000年頃であるとの測定値が出ました。
さらに、エジプトは砂漠化後も大きな水たまりが出来るほどの大雨が降ることが分かっています。

大スフィンクスの建設位置がナイル川(支流)のすぐそばで毎年の氾濫時には水をかぶっていたという説もあります。
(建築当時の復元図)


両氏の主張は地質学の視点を考古学に持ち込んだという評価は受けていますが、その内容は完全に否定されています。
最近になってショック氏は「大スフィンクスの頭はライオンだった説」など新たな説を唱えているようですが、その評価に変化はありません。
これまでのまとめ
3大ピラミッドの建設に使われた、モルタルなどの有機物の放射性炭素年代測定結果によって、ピラミッドの建設年代は正確に分かっています。(大スフィンクスも含みます。)
決して、ムー大陸などの超古代文明が作ったわけではありません。
(もちろん、ミケーネ帝国の巨大ロボが手伝ってもいません。)
また、クフ、カフラー、メンカウラーのピラミッドという事を否定されている方もいますが、状況証拠はこれらの王の時代の建物であることを肯定しています。
クフのピラミッドは「1個 2.5 t もの巨大な石を230万個も使って組み立てているので、人間が作ったのではない。」という意見もよく聞かれますが、使った石はピラミッドのすぐ横から掘り出された証拠が出てきているので、少なくとも材料調達は人間が行ったと考えて間違いないですね。(他の300ぐらいあるピラミッドは人間が建築して、最大のピラミッドだけ何光年も遠くから来た宇宙人が、石の組み立てだけ手伝ったというのは論理が破綻しています。)
さらに、「労働者村(Heit el-Ghurab)」が発掘されてしまいました。
この巨大なピラミッド建設に特化した都市の存在は、ピラミッドが古代エジプト人によって作られたことの明らかな証拠です。
また、今回の記事では紹介していませんが、ピラミッド建築中の様子を記録したパピルス文書「メレルの日誌」も見つかっています。
これでは、いくら神秘的な話やオカルト・ピラミッド学で(自分に都合の良い)数字を並べてみても、約4千年前に有色人種である古代エジプト人がピラミッドを作ったという偉業は否定できません。
「陰謀論」は、見るだけなら楽しいですが積極的に支持することは、その説を展開する勢力に力を与えることになります。
次回は、ピラミッドの 5W1H の「誰が・何を」の内容を検証します。
古代エジプト人の生活や恋愛・結婚観、そして、クフのピラミッドを例に使っている石の詳細について調べる予定です。


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